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| 都萬神社 つまじんじゃ (都万神社・妻萬宮) |
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| 宮崎県西都市妻1 Yahoo!マップ Googleマップ(航空写真) |
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| 本殿は桃山様式建築 |
| 延喜式内社、 日向國二之宮、 旧・県社、 現・別表神社 天孫降臨した瓊瓊杵命[ニニギノミコト]の妻(=都萬)、木花開耶姫[コノハナサクヤヒメ]を祀る神社。創立年代不詳。 都萬(つま)神社は、都農、霧島、江田と並ぶ、日向式内四座の一社でした。続日本後記にも「承和4年(837年) 日向国子湯郡妻預官社」と記されています。中世には、妻宮・妻萬宮・日向総廟五社大明神などと称され、武家・ 領主の尊崇が大変篤かったといわれます。 拝殿には宝徳3年(1451年)に献上されたという日本一を誇る巨大な太刀(3.5メートル)が安置されています。 例祭2月18、19日。神輿渡御の神幸があり、つくり人形や舞踏などの催しなどがおこなわれます。。旧暦の 7月7日には、更衣祭、旧暦11月初巳の日には「うとん祭」と呼ばれる鎮火祭が行われます。(大山祇神社) また妻萬(宮)の音読から「さいまん様」と称され、市民に親しまれています。 【延喜式(式内社)】 平安時代に編纂された三代格式(格式: きゃくしき、律令の補助法令 )の中の一つ。 905年(延喜5年)から編纂され、927年(延長5年)に完成。 967年(康保4年)に施行されました。全50巻。1〜10巻は 神祇官に関わるもので、9、10巻が神名帳(神社の一覧表)。祈年祭奉幣を受けるべき2861社の神社が記載され ています。延喜式神名帳に記載のある神社を一般に式内社と言って社格の一つとされ、当時朝廷から重要視さ れた神社であることを示しています。現在では消滅したり不明となっている神社も多数あります。 【三代格式】 弘仁格式、貞観格式、延喜格式 日本の律令制度は、中国のものを参考に作られました。唐の律令をそのまま受け入れたので、日本の国情に則さ ないものが多く、修正を加えて日本に合うような律令を完成させるまでには、かなりの年月を費やしました。日本社会 に対応して、律令を修正したものが格(きゃく)で、律令の施行細則が式(しき)です。 【別表神社】(べっぴょうじんじゃ) 神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社のこと。 第二次大戦後、公的な社格の制度が廃止されたため、それに代わるものとして定められました。社格制度廃止後は、 全ての神社は対等の立場であるとされました(伊勢神宮を除く)。しかし、一部の規模の大きな神社については、神職 の進退等に関して一般神社と同じ扱いをすると不都合があることから、「役職員進退に関する規程」において特別な扱 いをすることと定めています。その対象となる神社が同規程の別表に記載されていることから、「別表に掲げる神社」 (別表神社)と呼ばれています。このように、別表神社は社格のような神社の格付けではなく、あくまでも神職の人事の みにかかわる区別です。しかし、別表に掲げられている神社は社殿、境内、神職の数などの面で比較的大きな規模の 神社であり、一般には一種の格付けとして捉えられているのが実情です。別表神社には、神社本庁配下の旧官国幣社 が全て含まれるほか、指定護国神社・旧府県社などの一部が含まれています。 |
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| 本殿右手に三つの摂社があります。 大山祇神社。コノハナサクヤヒメの父で土着の国つ神であるオオヤマツミを祀っています。(左) 霧島神社。 瓊瓊杵命 四所神社。磐長姫神(コノハナサクヤの姉)・天児屋根命・豊受姫神・太玉 摂社が置かれた境内にはクロバネトンボが3尾ひらひらと舞っていました。 |
| 【摂社】 神社の境内には、主祭神が鎮座する本社の他、幾つかの社に神が祭られていることが多く、こうした小祠のことを 摂社、もしくは末社と呼びます。摂社とは本社に付属し、普通、その主祭神と縁故の深い神(后神、御子神)を祀った 神社であり、本社と末社の間に位置します。また末社は本社に付属する小さな神社で摂社に次ぐ格式を持つもので す。末社は枝宮、枝社とも呼ばれ、大きな神社の有力な神を勧請して祭っていることが多いようです。本社の域内に あるものをを境内社といいますが、その他、境内の外に祭られている摂社・末社もあり、これらは境外社と呼ばれます。 |
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| 境内には、樹齢1200年という大クス(根回り16.4メートル、高さ40メートル)があり、「妻のクス」として 国指定の天然記念物になっています。高天ケ原[たかまがはら]から天孫降臨した瓊瓊杵命[ににぎのみこと] が土着の王の娘であるコノハナサクヤヒメを見初めたことから、縁結びの神として、またこの姫が3つ子を無事 出産したことから安産の神としても知られます。3人の皇子を育てるのに、姫は自身の乳では足りず、甘酒を 作ってお乳替わりに飲ませたといわれ、境内には「日本酒発祥の碑」があります。 都萬神社案内 この神社は天孫ニニギの尊の妃木花咲耶姫を祀り、都萬神社または妻萬宮と申します。祭神木花咲耶姫は オオヤマズミの命の姫君で、ニニギの尊との御結婚にはコトカツクニカツナガサの神が媒酌をとりもち、日本 最初の正式な華燭の式典を挙げられました。故に古来からこの結婚の喜びにあやかりたいと崇敬の厚いお 宮であります。祭神木花咲耶姫は青島神社のヒコホホデミの尊の母君鵜戸神宮のウガヤフキアエズの尊の 祖母君にあたり、宮崎神宮の神武天皇の曽祖母で日本民族の彌来をもたらせた国母神でありますから、女性 の守護神お産の神と敬い家内安全の祈願に参拝の多い神社であります。西都原御陵参考地の正面にある女 狭穂塚はこの神社の祭神木花咲耶姫の御陵とつたえられています。 境内案内より |
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| 都萬神社のよこに桜川から水を引き込んだ池があり、そのほとりにスサノオノミコトを祀った祇園神社(八坂神社) があります。そのすぐ傍には日下部氏発祥の地といわれる日下部塚跡があります。 |
| ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 記・紀の道 (宮崎観光遺産) |
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| 逢初川(あいそめかわ) 八尋殿(やひろどの)跡 無戸室(うつむろ)跡 |
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| 児湯の池 石貫神社 大山祇命の・・・像? |
| 都萬神社を起点として古代ロマンの跡をたどる「記・紀の道」がつくられています。ニニギノミコトが船で この地(笠沙の御前)に着いた跡である、御船塚。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会った、逢初川。 二人が契りをかわした八尋殿。不義の疑いを掛けられたコノハナサクヤ姫が潔白を証明する為に、戸の ない産屋をつくり、自ら火をつけて3人の皇子を生んだ跡とされる、無戸室。皇子たちの産湯に使ったといわ れる、児湯の池。そしてコノハナサクヤヒメの父で国つ神であるオオヤマツミを祀る石貫神社、そして西都原 古墳群までの約4km。 専用の駐車場はどこもありません。(都萬神社・西都原古墳群にはあります)徒歩では約1時間くらいでしょ うか。ただ、都萬神社から石貫神社、西都原古墳群まで行って、帰りも歩くとなると少しつらいものがあるか もしれません。今のところ、路上駐車しながら回るしかないようです。(逆ルートとして、西都原古墳群にある、 このはな館でレンタサイクルを借りるという手はありますが、時系列的にも逆になりますし、石貫神社と古墳 台地の間が難所?になるかもしれません。地理に明るくない方は迷子になる恐れも多分にあります。) この歴史の道は、記紀や神話に興味のある歴史ファンにはたまらないものがありますが、普通の観光客には ちょっと、どうかな・・・という感じは否めません。 |
| 記紀によると、天照(アマテラス)大神の孫で、「天孫降臨」の神・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が日向の 高千穂峰に降臨の後、居を構えたのが現在の西都市であったとされています。 西都は日本最大の 古墳集積地帯(西都原古墳群)であり、かなり規模の大きな古代勢力がこの地に存在したと推測され ます。律令期には現在市の中心部となっている妻(つま)地区に日向国国府、日向国分寺、国分尼寺 が置かれ、日向国の中心地として栄えました。 室町時代〜戦国時代には日向国の地頭、伊東家が 市南部に都於郡城を構え本拠地とし、領国支配の拠点としました。 |
| 旬の話題−季節の景色・イベントなど |
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宮崎観光情報 「宮崎あっち、こっち」 TOPページ 宮崎の風光明媚な観光名所や歴史スポット、ちょっと した穴場まで、宮崎を「あっち、こっち」ご紹介します。 随時追加更新中。 |
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「霧島」 TOPページ 国立公園 霧島山(霧島連山)と周辺の観光・歴史 スポットをご紹介します。 現在、高千穂峰ほか19ページ掲載 随時追加更新中 |
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「大淀川の草花」 TOPページ いつもの散歩道、宮崎市内・大淀川の堤防・河川敷で 出合った草花や雑草達をご紹介しています。 随時追加更新中。 |

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