| 霧島は宮崎・鹿児島両県にまたがっています。霧島エリアに関しては鹿児島部分もご紹介します。 |
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| 霧島神宮 きりしまじんぐう |
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| 鹿児島県霧島市霧島町田口 Yahoo!マップ Googleマップ(航空写真) |
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| ↓ 2009/11/26 霧島神宮 紅葉の様子 ピークは過ぎつつありますが、まだ充分綺麗です。今月末まではなんとか楽しめそうです。 周辺道路(国道223号霧島神宮〜高千穂牧場入口)の紅葉は今がピーク、素晴らしくきれいです。 |
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延喜式内社(霧島神社) ・ 旧、官幣大社 ・ 現、別表神社 霧嶋神社は、都萬神社、都農神社、江田神社と並ぶ、日向式内四座の一社でしたので、 霧島神宮の現在の所在地は鹿児島県(旧日向国)になりますが、ご紹介したいと思います。 多くの神社が一種古色蒼然とした「枯れた」印象を持つのに対して、霧島神宮は朱の色が 感じさせるのでしょうか、ドクドクと脈打つエネルギーを感じる神宮です。 御祭神 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト) 相殿 嫡后 木花開耶姫尊 御子 彦火火出見尊 嫡后 豊玉姫尊 御孫 鵜萱草葺不合尊 嫡后 玉依姫尊 御曽孫 神武天皇 御由緒 当神宮は天祖天照大神の御神勅を畏み戴きて三種の神器(皇位の御璽)を奉持し、高千穂峯に天降りまして皇基 を建て給うた肇国の祖神「天孫瓊瓊杵尊」をお祀りしているお社です。旧記によると欽明天皇の御宇(西暦五四〇 年)、はじめ高千穂峯のほど近く脊門丘に社殿が建立されましたが、その後たびたび噴火炎上し幾星霜を経て今か 五年)に造営寄進されたもので、絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置はまさに輪奐の美をなし、西の日 光とも称せられます。特に殿内は漆塗りで二十四孝の絵画、龍柱、床には鴬帳りが施されています。明治七年二月 「霧島神宮」と社号改定、官幣大社に列格仰せ出されました。 畏くも昭和天皇陛下には二度にわたる御親拝を賜っております。平成元年五月国の重要文化財の指定を受け、海 抜五〇〇米の此の地からは遥か錦江湾、桜島、開聞岳の眺望が実に雄大であります。高千穂峯(標高一、五七四米 )頂上には神代の旧物”天の逆鉾”があり、中岳、新燃岳、韓国岳一帯はつつじ「みやま霧島」で有名です。 御祭儀 歳旦祭(一月一日)、散籾祭(旧一月一日)、御田植祭(旧二月四日)、講社大祭(四月三日)、献灯祭(八月五日)、 例大祭(九月十九日)、古例祭(旧九月十九日)、天孫降臨記念御神火祭(十一月十日)、新嘗祭(十一月二十三日) 、猿田彦命巡行祭(春秋四回)、をはじめ大小あわせて年間百ほどの祭典が厳粛に斎行されています。参詣案内より 鎌倉時代の霧島山の大噴火で社殿を焼失、その後社殿を山の東にあたる長尾山に移し、東霧島神社と称した。 文明一六年(一四八四)、島津忠昌は、この社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座、この社が現在、宮崎県西 諸県郡高原町の霧島東神社。西社は、大隅国姶良郡田ロに建てられこれが、現在の霧島神宮。明治七年(187 4)迄は、霧島神社と称され、また霧島西御在所六社権現とも称されて、薩摩藩歴代の篤い尊崇と衆庶の崇敬を集め てきた。別当寺の霧島山錫杖院華林寺は、霧島六社の別当寺を全部統轄、霧島六社権現の中心的役割を果してきた。 神社辞典より 【 官国弊社 】(かんこくへいしゃ) 明治四年に定められ、昭和二十年まで続いた神社の公的な社格制度。 官幣大社・中社・小社・国幣大社・中社・小社、並びに別格官弊社の社格が設けられました。 これらを総称して官国弊社といい、「官社」と略称することもあります。 【延喜式(式内社)】 平安時代に編纂された三代格式(格式: きゃくしき、律令の補助法令 )の中の一つ。 905年(延喜5年)から編纂され、927年(延長5年)に完成。 967年(康保4年)に施行されました。全50巻。1〜10巻は 神祇官に関わるもので、9、10巻が神名帳(神社の一覧表)。祈年祭奉幣を受けるべき2861社の神社が記載され ています。延喜式神名帳に記載のある神社を一般に式内社と言って社格の一つとされ、当時朝廷から重要視さ れた神社であることを示しています。現在では消滅したり不明となっている神社も多数あります。 『延喜式』の「神名帳」には「諸県群一座小 霧嶋神社」とありますが、この霧嶋神社が六社権現のどの社のことで あるのかははっきりしていません。霧島神宮がそうであるという説や、霧島中央権現と称されることから霧島岑神社 こそそうであるという説など諸説有ります。 「延喜式」巻9及び10が「神名帳」と言われ、3132座、2861社の明細が列挙されていますが、問題は、国別郡別の 配列で社名と大小座の区部だけの記載であり、祭神・由緒(及び郡以下の郷などの鎮座地名)などは一切記載がない ことです。そのため様々な説がありますが、当ページでは「霧嶋神社」の流れをくむであろう霧島神宮も延喜式内社 と表示いたしました。 【三代格式】 弘仁格式、貞観格式、延喜格式 日本の律令制度は、中国のものを参考に作られました。唐の律令をそのまま受け入れたので、日本の国情に則さ ないものが多く、修正を加えて日本に合うような律令を完成させるまでには、かなりの年月を費やしました。日本社会 に対応して、律令を修正したものが格(きゃく)で、律令の施行細則が式(しき)です。 【別表神社】(べっぴょうじんじゃ) 神社本庁が定めた、神社本庁が包括している一部の神社のこと。 第二次大戦後、公的な社格の制度が廃止されたため、それに代わるものとして定められました。社格制度廃止後は、 全ての神社は対等の立場であるとされました(伊勢神宮を除く)。しかし、一部の規模の大きな神社については、神職 の進退等に関して一般神社と同じ扱いをすると不都合があることから、「役職員進退に関する規程」において特別な扱 いをすることと定めています。その対象となる神社が同規程の別表に記載されていることから、「別表に掲げる神社」 別表神社)と呼ばれています。このように、別表神社は社格のような神社の格付けではなく、あくまでも神職の人事の みにかかわる区別です。しかし、別表に掲げられている神社は社殿、境内、神職の数などの面で比較的大きな規模の 神社であり、一般には一種の格付けとして捉えられているのが実情です。別表神社には、神社本庁配下の旧官国幣社 が全て含まれるほか、指定護国神社・旧府県社などの一部が含まれています。 |
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| 参道の入り口には「足湯」と観光案内所があります |
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| 社殿は霧島造。入母屋造に似る。 神紋 菊紋(十六八重菊) |
神楽殿(祈祷殿参集殿) |
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| さざれ石 社務所 駐車場・売店 国歌に詠まれている「さざれ石」 この石は学名を石灰質角礫岩と云う。石灰石が雨水に溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の 強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。やがてそれが地上に顕れて国歌に詠ま れる如く、千代八千代 年をへてさざれ石巌となりて苔のむすと云う状は、実に目出度いかぎりである。 この石は国歌発祥の地と云われる岐阜揖斐郡春日村の山中で発見されたもので、その集結の過程状態は この石を一見してよく察することが出来る。 上の文章は昭和37年文部省の中庭に贈呈された「さざれ石」の木札に 記されたものと同文であり、国歌に詠まれている「さざれ石」については 岐阜県揖斐川町出身の故小林宗一(号宗閑)氏によって発見解明 されました。 現地案内文より |
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| 霧島神宮のお土産はこれ。「鉾餅」(ほこもち) |
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| 坂本龍馬も眺めた巨大な杉が多数あります。 |
| 霧島神宮の紅葉 例年の見頃は11月下旬〜12月初旬 |
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坂本竜馬・おりょう新婚旅行記念 今からちょうど百三十年前、慶応二年(1866年)日本の歴史の 大転換期に坂本龍馬と妻おりょうは、薩摩(鹿児島)に訪れてい ます。京都伏見の寺田屋事件(1866年1月23日未明)で幕史 に襲われ九死に一生を得た龍馬は妻おりょうとともに霧島の山 深く入り温泉で傷を治しながらその足で霧島山(高千穂)の峯に ある天の逆鉾を見ようと妻おりょうと高千穂登山をしています。 姉乙女への手紙によりますと「天の逆鉾」を見て天狗の面に似 ていると二人で微笑んだと記されています。 下山途中は一面にみやまきりしまが咲きほころび美しい情景で あったそうです。またその足で霧島神宮をお参りし、大きな杉の 木もあるが御神殿の建物にも奥深いものがあると感じながらここ に一泊しそこから霧島の温泉に戻り四月十二日鹿児島へ帰って いるようです。坂本龍馬が鹿児島へ訪れた行程は八十八日間と 示され、現在の新婚旅行とも言われています。 このことは龍馬が姉乙女宛へ送ったと言われる手紙から抜粋し 要約したものです。 参考文献(京都国立博物館蔵より) 1996年12月 霧島町 現地案内板より |
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| 足湯「霧島」 | 霧島町観光案内所 | |
| 国道223号線沿い、霧島神宮の大鳥居のそばにある「足湯」。霧島町観光案内所が隣接しています。 観光案内所には坂本竜馬が姉に宛てた手紙のレプリカが展示されています。 |
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| 霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん) 霧島神宮(鹿児島県霧島町)・東霧島神社(つまきりしまじんじゃ / 宮崎県高崎町)・狭野神社(さのじんじゃ / 宮崎県高原町)・霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ / 宮崎県高原町)・霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ / 宮崎県小林市)以上5社の総称。一つ足りないのは霧島岑神社と夷守(ひなもり)神社が明治6年(1873)に 合併したため。(六社には山田町の山田神社と安原神社が含まれていたとする説も。) 多少の異同はあるものの現在はそれぞれ日向四代の神々を祀っていますが、元は霧島の山そのものを御神体 としていたのではないかとも考えられます。これらの神社を六社権現として整備したのは、10世紀村上天皇の頃 、天台法華仏教を奉じ修験道信仰を確立した性空(しょうくう)上人です。 性空上人は霧島でも修行して霧島山信仰を体系づけた人物であり、高千穂峰頂上にある「天の逆鉾」も、この性空 上人のながれをくむ修験者が置いたものではないかといわれています。 霧島六社権現は他に「霧島山六宮権現」・「霧島六社」とも呼ばれます。また、「霧島六所権現」という表現があり、 しばしば混同されているようですが、この場合の六所の「所」は神仏や貴人を数えるのに用いる語であり、場所の ことではありません。天孫神代三代の夫婦六座を祀っているので六所権現といいます。昔は現在の霧島六社権現 の他にもいくつかの霧島六所権現と呼ばれた社があったようです。一例を挙げると、旧・高城町の大井手・霧島元に は室町時代応永二十五年建立の霧島六所権現社があり、明治の始めに廃社となってしまいましたが、現在「霧島 社跡」が残っています。 |
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国立公園 「霧島」 霧島山(霧島連山)と周辺の観光・歴史スポットを ご紹介します。 現在、高千穂峰ほか26ページ掲載 随時追加更新中 |
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宮崎観光情報 「宮崎あっち、こっち」 TOPページ 宮崎の風光明媚な観光名所や歴史スポット、ちょっと した穴場まで、宮崎を「あっち、こっち」ご紹介します。 随時追加更新中。 |
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「大淀川の草花」 TOPページ いつもの散歩道、宮崎市内・大淀川の堤防・河川敷で 出合った草花や雑草達をご紹介しています。 随時追加更新中。 |

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