宮崎あっち、こっち。

        榎原神社   よわらじんじゃ

        宮崎県南那珂郡南郷町榎原甲1134番地イ号 Yahoo!マップ Googleマップ(航空写真)
 
榎原神社・拝殿 榎原神社・社殿
 榎原神社・拝殿
 
 榎原神社御祭神  
 
       本社       天照大神
    ・ 天忍穂耳命
                   彦火瓊々杵命 ・ 彦火々出見命
                   鵜茅葺不合命 ・ 神日本磐余彦命
 
      摂社 桜井神社   万寿姫神霊
      末社 霊社       寿法院殿万寿姫碑
      末社 住吉神社    表筒男命 ・ 中筒男命 ・ 底筒男命
      末社 天満神社    菅原道真公
      境外末社 稲荷神社 稲倉魂命
 
      縁日大祭   旧三月十五日・十六日
      例大祭     十一月八日・九日
  
 榎原神社は万治元年(1658)十二月、飫肥藩主 伊東大和守祐久公によって鵜戸神宮の神霊を勧請し藩内の鎮守
 として創建されました。昔は榎原山大権現と称されて歴代藩主の崇敬も篤く、社録神領の寄進を受け、東部の鵜戸神
 宮と並び称せられてきました。
 本殿県指定有形文化財・昭和58年1月21日指定・石の間拝殿を含む)は1707(宝永四)年の創建。現在ある社
 殿は、寛政10年(1797)に建てられたもので創建当初は八幡造りであったものが、入母屋造の拝殿と両流造の本殿
 との間に石の間と呼ばれる室を設けた権現造風の造りに改造されたようです。(関係者は屋根の複雑さから『八ッ棟造
 り』と呼び習わしています) 内部形式は、拝殿から本殿まで正面の幅が同一であり拝殿の舟底天井や本殿の奥のみ
 を一段高くするなど、密教系本堂を連想させる建物です。棟札には多数の彫物の呼び名と彫物師の氏名が残されてお
 り、近世社寺建築の流れを知るうえでも貴重な史料となっています。
 
 
縁結びのご利益を授けてくださる神として有名で、恋に悩む(?)多くの老若男女が参拝に訪れます。
 
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榎原神社・楼門
 県指定有形文化財  榎原神社楼門
 
 榎原神社楼門は、神社境内と門前町との間に建立されています。建立は文化13年(1816)銘の棟札があり、
 また天保年間(1830〜1842年)再興の棟札も残されていて宮崎県下で類例のない古い楼門です。構造形式
 は、三間一戸八脚門といい、正面三間のうち両脇に仁王像を配し、その上部棚に随神像を安置して中央の間を
 参詣者用通用門(一戸)とする楼門です。和様の手法に禅宗様の細部意匠を加えて華やかに飾る手法を取り入
 れた特徴的なもので、古く神仏習合の歴史を物語る価値の高い貴重な文化財です。また、礎石に榎原石と呼ば
 れる地場産の凝灰岩を利用するなど地方的な特色が顕著で技術的にも独自なものが見られ、工法技術の変遷
 を知るうえでも貴重な建造物です。
 
仁王像 随神像 仁王像
 
 
榎原神社・鐘楼 榎原神社・鐘楼   県指定有形文化財 
  榎原神社鐘楼
 
 天保13年(1842)に建立された
 もので、袴腰付で約1割の法をつ
 けた切石4段を積み重ねた基壇
 上に建っています。
 建物は、下階・上階の2層になっ
 ており、下階は面取り角柱の柱頭
 に三手先斗共を組み、上階は円柱
 (上部粽付)を切目長押、内法長押
 、頭貫、台輪で固め、柱頭に拳鼻付
 二手先斗共を組んでいます。袴腰
 付鐘楼としては、県下唯一の遺構
 です。
 
 
 摂社 桜井神社
桜井神社 イセエビの柱飾り
 
 神女・内田万寿女
 
 榎原神社の摂社、桜井神社の建立は宝暦十(1798)年。御祭神は内田万寿女という神女で、この地には
 榎原神社の創建に関する伝承が残されています。
 高鍋藩秋月氏の家臣、内田外記は飛び地藩領であった串間に地頭として赴任。元和六(1620)年、串間市
 大束で女子が誕生し名を満寿子(ますこ)と名付けました。満寿子3歳のときに南郷橋ノ口村石之元に移住。
 満寿子が9歳のとき父外記は飫肥藩伊東氏の家臣となり、榎原に住むようになります。満寿子は幼少の頃か
 ら鵜戸神宮を篤く崇敬し、しばしば鵜戸神宮に絡む不思議な霊験を経験し、神女と称されるようになります。
 寛永十七(1640)年、21歳のときに知人らと鵜戸参詣の帰り道、鳥井峠で休憩中に突然神がかりの狂乱状態
 となり、知人らがなんとか連れ帰ります。その後連日のように鵜戸参詣を続けるようになりますが、鵜戸神宮に
 向かうときにはいつも1本歯の下駄を履き、榎原から鵜戸山までの28kmの道のりを短時間で往復し、その折に
 はいつも雲が降りてきていたといいます。そのような状態の満寿子を心配した父外記は榎原村地福寺の僧精能
 に来てもらい祈祷をしてもらおうとしますが、満寿子は激しく反抗します。それならば本当に神気があるのかどう
 か試してみることとなり、満寿子は見事それに応えたといいます。
 この後、満寿子は自筆の教本を神典と称して説法し、数々の奇跡を起こしたので榎原の神女 寿法院 と呼ばれ
 ました。起こした奇跡の中には飫肥藩の内紛や危機を救ったものもあり、それらを耳にした藩主伊東祐久は明暦
 二(1656)年、自ら満寿子を訪ねます。そのときに榎原神社の創建を約束し、万治元(1658)年に榎原神社を建
 立、鵜戸神宮の御分霊を奉祀したといいます。満寿子は榎原神社を守り続け、寛永九(1669)年、51歳で死去。
 延宝二(1674)年追善法会が開かれ、満寿子の廟所は桜井宮と呼ばれるようになり、正一位桜井大権現の追号
 があり藩からは神領100石が寄せられました。
 
 
 榎原まいり
  
 榎原神社は縁結びや牛馬の神さまとして広く崇敬を集めています。神社創建にかかわった神女「寿法院」の命日
 旧三月十六日には大祭がおこなわれ、霊験あらたかとされた神社には、かつては近郷近在から縁結びや豊作を
 願う若い男女や飾りつけた牛馬が押しかけ、大変な賑わいをみせたといいます。一種の集団見合いのような「出会
 いの場」的意味合いもあったようです。宮崎地方からは農閑期を利用した新婚夫婦が山道を日にちをかけて辿って
 きたといい、その風習は明治の末まで続きました。今でいう新婚旅行といったところでしょうか。
 宮崎からは旧飫肥街道を辿った4〜5泊の徒歩の旅で、往還の整備や日程の都合から「鵜戸まいり」へと移り変わ
 り大正初期まで続けられました。そのため牛馬を飾りつける風習や歌われる民謡「榎原まいり」・「シャンシャン馬道
 中唄」には共通点がみられます。
 
 
 
 榎原湧水 宮崎の名水21選  宮崎県南郷町榎原甲1326(井上酒造) 周辺の地図(Yahoo!マップ)
榎原湧水の里 榎原湧水
 
 宮崎の誇る芋焼酎「飫肥杉」の醸造元である井上酒造さんの敷地内にある湧水です。榎原神社から徒歩約
 10分、JR榎原駅から車で約5分程度の国道220号線沿いにあります。
 種田山頭火も賞賛したというこの湧水は水量が豊富で、年間一升瓶で900万本という井上酒造さんの焼酎生
 産に使われるほか、町の水源地でもあります。ここの水を汲む場合には、必ず井上酒造さんの事務所に断っ
 てからにしてください。この水源ではなく、別に蛇口が用意されています。銘酒の仕込み水に使われるだけあっ
 てその美味さは折り紙つき。
 井上酒造さんは創業明治27年の老舗。代表的な銘柄の「飫肥杉」は芋臭さを抑えた、洗練された風味の焼酎。
 粗野な芋臭さを持つ焼酎が多い中で異彩を放っています。どんな料理の味をも邪魔しないその淡麗なあじわい
 は、日本の誇る代表的なスピリッツの一つといってもいいでしょう。
 

 

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