宮崎 あっち、こっち。


     皇宮屋  こぐや

         宮崎市下北方町 Yahoo!マップ Googleマップ(航空写真)
 
   
 
神武天皇宮居跡  東征前の「高千穂宮」
 
アクセス

宮崎地方気象台が目印です。車の通りの絶えない県道333号線を挟んで
、山手に少し入ったところにあります。徒歩ならば空き地を抜けて県道から
直接入れますが、自動車は入ることが出来ません。平和台線を北上して左
に入ってください。

皇宮屋(こぐや)とは、神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が東征される前まで
過ごされていたところです。
カムヤマトイワレヒコが四十五歳になったとき、潮の神シオツチがカムヤマト
イワレヒコに「ここから東の方によい土地があります。これから国を治めてい
くには、そこに行かれるとよろしいでしょう」と進言します。
カムヤマトイワレヒコは同母兄、五命瀬(イツセ)とも相談し、自ら軍を率いて
日向の美々津から東に向けて旅立ちます。皇宮屋はその戦略をたてた場所
といわれます。

域内には宮崎神宮の摂社である皇宮神社があり、下北方の地域の皆様に
よって大切に扱われています。境内の玉砂利は毎日掃き清められ、足を踏
み入れてもよいものか と躊躇してしまうほどです。

森の奥手の方に宮居跡といわれている場所があります。
また近くには神武天皇がそぞろ歩いたとされる、皇路(おろ)の坂があります。

 
 皇宮神社(宮崎神宮摂社)
【摂社】
神社の境内には、主祭神が鎮座する本社の他、幾つかの社に神が祭られ
ていることが多く、こうした小祠のことを摂社、もしくは末社と呼びます。
摂社とは本社に付属し、普通、その主祭神と縁故の深い神(后神、御子神
)を祀った神社であり、本社と末社の間に位置します。
また末社は本社に付属する小さな神社で摂社に次ぐ格式を持つものです。
末社は枝宮、枝社とも呼ばれ、大きな神社の有力な神を勧請して祭って
いることが多いようです。
本社の域内にあるものをを境内社といいますが、その他、境内の外に祭ら
れている摂社・末社もあり、これらは境外社と呼ばれます。
皇宮神社は境外社ということになり、宮崎神宮の摂社という位置付けにな
っています。

 
皇宮神社 破魔矢祭

摂社・皇宮神社破魔矢祭は、元皇宮屋にあった祇園様と称する神社の神事
と思われ、コンズサマと称する神像の神札を地区民らに頒布し、玄関に貼り
魔除けとしました。
旧正月十四日の夕刻、御幣をつけた青竹の弓矢を供えて祭典を行った後、
大祓の祝詞を唱える中、「ホーイ、ホイ、ホイ」の掛け声とともに矢を放ち、
矢の飛ぶ距離や傾斜の状態によりその年の豊凶を占うそうです。
戦前はこの神事の時間には、地区民は戸を閉じて、家から一歩も出なかっ
たといわれています。


 

下北方地区の方々が、毎日、玉砂利の敷き詰めてある境内をを掃き清めて
おられます。これほど地域の方々に大事にされている史跡なのに宮崎市民
の多くがその存在を知らないのはどうしてでしょう・・・。


神武天皇宮居跡
 

宮居跡について書かれているであろう?石碑。
残念ながら漢字だけでお恥ずかしい話ですが私には手も足も出ません。
(涼の宮碑?)

 
県道・333号線の方を向いて。

すぐ向こうは道路なんですが、車で道路から直接こちらに入ってくることは
出来ません。徒歩ならば入れますが、草ぼうぼうです。
近くの方に伺ったところ、市か県の土地ではないかとのことでした。(確認
はしておりません、宮崎神宮にたずねればわかるのかもしれませんが・・。)
民間の私有地ではないとすればここを整備して駐車場なりを作る必要があ
るように思います。先日の宮崎日日新聞に、ひむか神話街道について「開
通はしたけれども、ハード面がきちんと整備されていない。時期尚早ではな
かったのか。」といった記事が載っていました。私もまったく同感です。交通
機関の発達していない宮崎においてドライバーの視線による案内表示や駐
車場の設置等の、車環境の整備は急務であろうと思われます。


県道333号線から見たところ。


左の風景の奥にチラッと見えている階段。
 



 
聖蹟 皇宮屋之碑

昭和9年の文字があります。
天皇の初代とされる神武天皇即位から数えて2,600年にあたる昭和15年
に、一大祭典を行おうという動きは昭和8年(1933)年頃からはじまり、昭和
10年岡田啓介内閣に紀元2,600年祝典準備委員会が設置され、昭和12
年には財団法人紀元2,600年奉祝会が設立されました。その一環として、
本県では、宮崎神宮神域拡張整備および参道改修、元の博物館である
古館
の改築が行われることになりました。また、そのほかの奉祝祭事業の
主なものとして、神社祭典・遠祖の慰霊祭・神武天皇聖跡保存顕彰・上代
日向研究所の設立、さらには、八紘之基柱の建設がありました。
神武天皇聖跡保存顕彰に関係した人々に、田中智学(国柱会)・君島清吉
(宮崎懸知事)・松平頼壽伯爵(旧高松藩第十二代当主)・赤間具三次(明
治会) 各氏の名を皇宮屋域内でみることができます。
裏から入ったところに車数台停められるスペースがあります。
「駐車禁止・宮崎神宮」とありますが、これは無断駐車に対するもので、
参拝者はかまわないということでした。
(境内の清掃に来ておられた、地区のご婦人のお話。確認したわけで
はありませんので、参拝される方は宮崎神宮にご確認下さい。)
   
皇軍発祥の地 石碑 皇軍発祥の地 の石碑。

日本が戦争への歩みの中で唱え始めた、「皇国日本」。その象徴としてこの
石碑が語られることがあります。皇宮屋の整備を提唱したとされる田中智学
氏の唱えた国家主義的思想は今では危険思想としてとらわれがちですが、
当時はこのような思想が普通であり、特に右寄りな思想というわけではなか
ったようです。また、戦前から存在する日蓮宗系の宗教団体は何らかの形
で田中智学氏の思想の影響を受けているといわれています。
かつて創価学会および公明党のスローガンであった「国立戒壇の建立」も、
オリジナルの発言者は田中智学氏です。国立戒壇とは、国民の総意を持っ
て国立の本部講堂を建立し、天皇はじめ為政者がこの戒壇で祈祷すること
により国家安泰が実現するとする思想で、元は日蓮聖人が「本門戒壇」とい
う言葉として遺言したのが始まりです。日本国憲法では政教分離が謳われ
ており、このような発言は憲法に反するということで、1970年代に世論の激
しい反論にあってからは創価学会も公明党も国立戒壇のことには触れなく
なりました。ちなみに国柱会の信者としてよく知られていたのが石原莞爾と
宮沢賢治です。
( 田中氏及び国柱会を擁護しようと意図したものではありません。私は無
宗教であり、政治・思想的には完全にノンポリです。ただ、当時の特殊な時
代背景においての思想をそのまま現代の感覚で論じ、史跡を負の遺産と断
じてしまうより、戦争への反省も込めた上で、後世に伝えるべきではないか
と思うだけです。)

 



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