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| 荒立神社 あらたてじんじゃ ( 荒立宮 あらたてぐう ) | |
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| 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 Yahoo!マップ Googleマップ(航空写真) | |
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| 拝殿 本殿 旧・村社 荒建神社 明治末、高千穂神社に合祀、一時廃社 後、復社
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| 猿田彦命(サルタヒコ)と天鈿女命(アマノウズメ)の結婚が急であったため、切り出したばかりの荒木で二人 の宮居を建てたのが「荒立(建)」の名の由来。天孫ニニギノミコトが降臨される際に道案内をしたのが土着の 国つ神である猿田彦命で、猿田彦命との折衝役を担ったのが天孫族の女神である天鈿女命です。この二人 の結婚は渡来人である弥生人と在来人の縄文人との国際結婚であったとされ、二人の結婚の物語は、日本 という国の成り立ちをある意味においてシンボリックに表しているともいわれます。 荒立宮は里の中にあり、人々の生活の場に溶け込んだような素朴な佇まいをみせています。社の建つこの宮尾 野地区には興梠(こうろぎ)姓が多く、かつては「こうろぎの里」「こうろぎの内裏」と呼ばれていました。興梠一族 の氏神として里人の崇敬が大変厚いお宮です。興梠は高千穂・五ヶ瀬・阿蘇などで見られる珍しい姓。神呂木( カムロギ/男神の総称)に由来するとされています。哲学者で「梅原日本学」で知られる梅原猛氏は、その著書「 天皇家のふるさと日向をゆく」のなかで、興梠一族は、縄文人で土着の男神である猿田彦命の系譜に直接つなが る人々、あるいは猿田彦命を祀った人々の子孫である可能性について示唆しています。 高千穂には征服者である天孫族の神々と土着の荒ぶる神鬼八との争いを伝える 「鬼八伝説」 が多く残されてい ます。鬼八の里であるアララギは興梠に通じるため、鬼八一族も興梠の一派ではなかろうかとの説もあります。 鬼八伝説は、天孫ニニギの時代には其の支配に従った土着勢力が、ニニギの孫である三毛入野命(十社大明神 :神武天皇のすぐ上の兄)の時代には勢力を盛り返し、東征などで天孫一族の支配力が弱まったのを期に、支配 者との抗争を始めた物語であることが考えられます。興梠一族をはじめとする土着勢力のなかでも、サルタヒコの ように天孫族に従った者もいれば、其の支配に不満を持っていた鬼八のような一派もいたのでしょう。また高千穂 の隣の阿蘇地方には、神武の孫である建盤龍命(タテイワタツノミコト)と鬼八との争いを伝える「的石伝説」もあり、 上古この地方において、興梠一族が関わったであろう壮大な歴史ドラマが繰り広げられた事が、容易に想像でき ます。 「鬼八伝説」については当サイト内の高千穂神社のページを参照下さい。 |
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| 神楽殿 | サルタヒコとアマノウズメ | 歳神 |
| 天鈿女命(天宇受売命)は古代より朝廷の祭祀に携わってきた氏族の一つである「猿女君」の始祖とされて います。岩戸開きの神話のなかで天鈿女命は面白おかしく舞い、天照大神を外に出すことに成功します。 このときの舞が神楽の原型とされ、このことから天鈿女命は芸事の神様で芸能人の祖ともされており、天鈿 女命を祀る荒立宮には昔から芸人や芸能界関係の人々の参詣が絶えません。たびたび有名芸能人が参拝 に訪れることでも知られた神社です。 また最近はスピリチュアルの聖地としてメディアに取り上げられたらしく、多くの観光客も訪れるようになって います。そのためツアーなどにも組み込まれることが多くなっているようで、この日も旅行社の社員らしき二 人が下調べに来ていました。 |
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荒立神社には鎌倉時代に作られたサルタヒコとアマノウズメの一対の 木像二体が祀られています。本来はこの他にもう二対四体の木像が あり、計六体の神像を祀っていましたが、明治末の神社合祀政策によ り荒立神社は高千穂神社に合祀され、平安末期の作である二対四対 の神像は高千穂神社にお遷りになりました。 その後、荒立神社は復社しましたが、4体の神像はそのまま高千穂神 社で祀られています。 ← 高千穂神社境内にある「荒立神社と四皇子社」 |
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| 荒立宮周辺 神話史蹟コース |
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荒立宮周辺の神話史蹟を巡る徒歩コースが設定されています。 荒立宮⇒王宮(二十躰王宮)⇒宮地嶽社 ⇒くしふる神社⇒高千穂碑⇒高天原⇒四皇子社 荒立神社から一番遠い四皇子社までは徒歩で約30〜40分。 周回コースではないので、帰路を考えると往復徒歩ではちょっとツライ かも。荒立宮、くしふる神社、高千穂碑にはそれぞれ駐車場があるので、 自動車と徒歩を交えながらまわった方がよさそうです。 ← 画像クリックで拡大 |
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神話史蹟コースのスタートは荒立宮の手前から。田と畑の間を通って 森の中に進みます。ここからくしふる神社までは探鳥コースと名付け られています。あまり利用する人もいないのか、草が茂り少し分かり にくい箇所がありました。 |
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| 二十躰王宮(にじったいおうのみや) 元禄四年(一六九一)時の船の尾代官が記述したと思われる高千穂郷十八ヶ村の神社仏閣調べ「高千穂日記」の 中の三田井村に「八十九社二十躰王子 宮尾ノ」とある また二十躰王子を祭るこの地を文久三年(一八六三)延 岡藩の国学者 樋口種実(ひぐちさねみ)は藩命により高千穂地方の神跡を調査し記述した「高千穂庄神跡明細記」 に次のように述べている 二十躰王宮 古像半ば朽ちたり面容甚よろし此社は天孫降臨の時供奉の神三十二神あり是を祭れり といへり その中十二神は折々に分祭りて有余二十体を此社に祭るといへり いずれも天孫降の時に まつれる神にて古く尊し このように古くから天孫降臨に関わる二十体の神々を祭るこの地に右記述にあるように面容(顔かたち)のよい御 神像があった事が伺える 延宝二年(一六七四)の高千穂庄神明帳によると社は一間四方掘立御殿とある その 礎石三基をもって御神体とした由緒あるこの地を奉賛会一同が畏敬の念を以ってこの度玉垣を建て神話の里の 一助とした 尚二十躰王宮の故事に関わり下方を「王の元」という 平成十二年十一月吉日 王宮奉賛会 現地案内板より |
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| 宮地嶽社 御祭神 奥津島比売命(オキツシマヒメノ命) 市杵島比売命(イチキシマヒメノ命) 多岐津比売命(タギツヒメノ命) 御三神は、女神の中では美神三姉妹と伝えられ中でも市杵島比売命は有名な弁天様でも有ります。 古事記(七一二)年に太安万侶により記された(日本神話)によると天照大神様が建速須佐之男命 の赤心を証明する為に誓約(うけい)して生まれた神々で、須佐之男命の十拳(トツカ)の剣を天 照大神様が三段に打ち折り、天真名井(至れより三百M下)に振りすすぎ噛んで吹き息吹乃狭霧か ら生じたと記す。 御神徳 五穀豊穣 交通安全 海上安全 商売繁盛 知恵 財徳 戦勝 子孫繁栄 技芸 弁舌など 平成十七年五月吉日 宮地嶽奉賛会 むらおこし神々の里本組合 現地案内板より |
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| 宮地嶽社の右手からくしふる神社へ探鳥コースが続きますが、この日は帰路を考えて一旦引き返し、 車でくしふる神社に向かうことにしました。(徒歩で向かってもそれほど距離はありません) |
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周遊観光バス 効率よく高千穂を見て回るのにおすすめ。いくつかのコースが設定されて いて、宮崎交通のバスガイドさんが案内します。 他にも観光タクシーや、マイカー・レンタカーに同乗してのガイド等、様々な サービスが用意されています。 詳細・お問合せ(高千穂町商工会Web site) 高千穂観光マップ(高千穂町観光協会Web site) |
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■高千穂の見所 高千穂峡 高千穂神社 天岩戸神社 国見ヶ丘 くしふる神社 二上山(奥宮) 二上神社・三ヶ所神社(五ヶ瀬町) 高千穂夜神楽の情報(高千穂町役場公式サイト)(※夜神楽見学者必見!) |
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宮崎観光情報 「宮崎あっち、こっち」 TOPページ 宮崎の風光明媚な観光名所や歴史スポット、ちょっと した穴場まで、宮崎を「あっち、こっち」ご紹介します。 随時追加更新中。 |
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「霧島」 TOPページ 国立公園 霧島山(霧島連山)と周辺の観光・歴史 スポットをご紹介します。 現在、高千穂峰ほか25ページ掲載 随時追加更新中 |
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「大淀川の草花」 TOPページ いつもの散歩道、宮崎市内・大淀川の堤防・河川敷で 出合った草花や雑草達をご紹介しています。 随時追加更新中。 |

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